コラム

84 「最高裁に告ぐ」(2)~読書~

2019年06月14日

先回からの続き

 「最高裁に告ぐ」(岡口基一氏著)の内容からは離れますが、同書を読んで改めて考えたことなどについて追記したいと思います。

 

 現在の日本は、「国民主権」の言葉のとおり、主権は国民にある、ということを大前提として、国家権力は、国民の信託によるもの、とされています。その上で、国家権力は、立法権・行政権・司法権の「三権分立」によって互いに牽制し合うもの、とされています。

 

 しかしながら、「三権分立」とは言うものの、司法権たる裁判所の基盤(民主的基盤)は、他の二権、すなわち立法権(国会)や行政権(内閣)に比べ、とても弱いものです。

 立法権(国会)を構成する国会議員は、当然ながら、国民の選挙によって選ばれています。行政権(内閣)については、その首長たる内閣総理大臣は、国会議員の中から、国会の議決で指名されることになっています。これら二権については、強い民主的基盤がある、と言えるのでしょう。

 

 では、裁判所はどうでしょうか。

 最高裁判所長官は、内閣の指名に基づき天皇に任命され、他の最高裁判所裁判官は内閣に任命されます。下級審の裁判官は、最高裁判所が指名し、内閣が任命するとされます(憲法6条2項、79条1項、80条1項)。

 つまり、裁判官は、主権者たる国民に選ばれるわけではありません。実質的には、内閣(行政権)に任命されているのです。
 国民が国会議員を選び、国会議員が内閣(内閣総理大臣)を選び、内閣が裁判官を選ぶ、ということですから、裁判官と国民の間には距離があり、その民主的基盤は弱い、と言わざるを得ないように思われます。

 むしろ、裁判官の選任過程に着目する限り、その立場は、内閣が統括するべき行政機構(行政官僚)と似ている、とも言えるのではないでしょうか。

 

 もちろん、裁判官の中でも最高裁判所裁判官については、衆議院議員選挙と同時に行われる国民審査の制度がありますが(憲法79条2項)、これは国民が積極的に裁判官を信任する、というものではなく、罷免するべき裁判官を選ぶ、というものです(最高裁判所裁判官国民審査法32条「罷免を可とする投票の数が罷免を可としない投票の数より多い裁判官は、罷免を可とされたものとする」)
 制度の建付上、裁判官は、国民審査を経たとしても、罷免されるという最悪の事態を免れたというに過ぎず、積極的に国民から信任された、ということにはならないでしょう。国民にも、最高裁判所裁判官を信任した、自分たちが選んでいるのだ、という意識はないのではないでしょうか。

 

 裁判所が扱う訴訟事件の中には、国会や内閣の利害に関連するものも含まれます。

 しかしながら、このような立場にある裁判所にとって、他の二権、ことに実質的な任命権者とも言える内閣の意向に真っ向から反するような判断を下すことは難しいのではないか、と考えるのは、自然なことではないでしょうか。

続く

弁護士 八木 俊行

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