コラム

78 地域のごみ拾いに参加して思ったこと

2019年06月4日

 かねて自分たちが暮らす地域のことにできる限り参加したいと思っていたこともあり、先週末の土曜日、家族に誘われ、地域のごみ拾いに参加しました。

 企画運営を務められる町内会の役員の方々、参加者となる地域の子供たちや保護者の皆さん、と多くの地域の人たちが集まっていました。

 両手に軍手をはめ、トング(と言うのでしょうか)とゴミ袋を持ち、日常的に利用する歩道を移動しながらごみを拾うわけです。もともと、きれいなまちというイメージを持っていたこともあり、わざわざ拾うほどのごみなど落ちていないのではないか、と思っていたのですが、普段は意識しない足下に目を向ければ、やはりごみは落ちているもので、1時間程度のうちに、それなりの分量を拾うことになりました。

 分量はともかく、個数が最も多かったのはタバコの吸い殻でした。その他には、お菓子の包み紙(ビニール製)が目につきました。

 分別のある大人は、路上にごみを捨てることなどないはずです。しかし、タバコの吸い殻だけは扱いが違うのか、いまだに吸い殻を路上に捨てていく人はいるようですね。

 

 今朝、自宅から最寄り駅へ向かう途中、先日ごみ拾いをした歩道でタバコを吸う高齢男性を目にしました。

 携帯灰皿を持っている様子もなく、手にしたタバコを一体どうするつもりのなのだろうか、捨てられたら嫌だな、と気になったものの、さしあたり捨てる様子もないのでそのまま通過しました。やはり気になって、しばらくしてから振り返ると、すでに男性はタバコを吸い終えており、路上には吸い殻らしき白いごみが落ちていました。

 一言、何か言うべきだろうかと迷ったものの、わざわざ来た道を戻って、見知らぬ男性にケンカを売るようなことはしたくない、と思い、結局、何も言いませんでした。

 ただ、しばらくの間、イライラしました。せっかく地域の人たちが、子供たちが、暑い中、ごみを拾ったのに、そこにまたごみを捨てられたことに理不尽なものを感じたわけです。

 

 それは、私が、たった1日のこと、1時間程度のこととは言え、地域のごみ拾い活動に参加したからなのでしょう。そのことで、私にとって、それまでは自分に関係があるとは思っていなかった地域のこと、路上に捨てられるごみのことが、多少なりとも自分ごととなったからなのでしょう。

 人は、何ごとであれ、ものごとに関わることで、そのことに対して当事者意識を持つようになるのでしょう。

 きっと、タバコの吸い殻を路上に捨てることに違和感を覚えないような人であっても、地域のごみ拾いに参加すれば、以後、吸い殻を路上に捨てることに、自然と躊躇するようになるのではないでしょうか。

 

 このまちで暮らす人たちが、仕事のことや家族のこと、友人・知人のことなど、言わば「最小単位の自分ごと」以外のこと、例えば、自分たちが暮らす地域のこと、まちのこと、この国のことなどについて、何かできることから参加して、少しずつでも当事者意識を持つことができたなら、この社会は良い方向に向かうのではないか。

 地域のごみ拾いに参加して、改めてそんなことを思いました。

 

弁護士 八木 俊行

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